幡谷の家訓はじめて物語(推敲中)

家訓の本の推敲中の生原稿です・・・

 

 

 

 

 

お天道さまは見ている

 

子どもとき、わたしは、覇気がなく、「普通だ、普通だ」とお袋に責めれて育ちました。家でゴロゴロしていると、本よめ、外であそべ、好きなものをみつけろっと、とにかくお袋に、ガミガミ怒られているなか、おばあちゃんだけは、ぼくの味方をしてくれました。そんな優しいおばあちゃんの口癖は、「お天道さまは見ている」でした

 

この言葉はいつも頭のどこかにあるような気がして、褒められるとか、怒られるとかでなく、お天道さまはみているものだと、母ちゃんには反抗しながらも、自分の歩む道を指し示してくれた気がします

 

おばあちゃんとの散歩はいつもお墓まいりとセットでした。お墓の雑草抜きを手伝いながら、祖母は、ご先祖さんの話を1つ2つとしてくれていた気がします。いまも、お墓まいりをするたびに、なんとなくそんな思い出がよみがえります。お墓の雑草が生えたとして、誰かに迷惑がかかるとか、怒られるとかでもないですが、おばあちゃんの言い伝えをまもり、せっせと草むしりを続けています

 

ご先祖さんがいて、今の自分がいる。そして、ぼく自身も誰かに生かされているものと漠然と感じる思い出です。

 

 

家訓との出会い

 

ひとは傲慢な生き物です。ひとは一人ではいきられませんが、現代社会では一人でも生きられるような錯覚をおぼえさせます。大学をでて、就職をし、まあまあな生活を送っていた幡谷でしたが、お墓まいりもせず、あるいは「お天道様が見ている」という素朴な価値観も、いつしかどっかに押し込んでいた気がします

 

結局、社会とむきあえず、社会人生活は3年で終わり、その後は不眠症と、長い心療内科での治療をおくるはめになってしまいました

 

その後も、毎日に感謝するでもなく、なんとなくな生活をおくってきた幡谷に転機がおとずれたのは、36歳の時の交通事故後の体験からでした。事故後1か月は、寝たきりになってしまい日常の生活もままなりません。

 

事故をおこした相手を恨んでも、体の痛みが引くわけでもなく、やりきれない思いに毎日がつぶされそうでした。

 

そんないい加減なわたしを変えたのは、診療にあたってくださったお医者さんの一言でした。

 

「あなたは運が悪くて、事故にあったんではない。運がよくて生き残ったんだ。あなたは死んでもしまっていいかもしれないが、奥さんや、お父さん、お母さん、残された家族はどうするんだ!」

 

思いもよらないお医者さんからの説教に、病室で泣き崩れたのを思い出します

事故にあい悲劇の主人公のような気持ちでいたっ自分。でもそれって、会社を辞めた時も、あるいはちょっとひっかかった時も、自分自身への言い訳に使ってきたことに気が付いたのです。

 

事故で失ったものも多いのも事実でしたが、事故をきっかけに得たものもたくさんありました。そもそも40前の男が、死を意識したことなどなく、遺言や、あるいは家訓もない状態でした。

それから、リハビリと共に、仕事や、日常生活のなかでたくさんの手助けを頂戴し、自分なりに感謝の思いと恩返しの気持ちが「家訓づくり」につながっています

 

事故後、「人生に無駄なものない」と定め、家訓づくりを広める運動に従事しています。

無駄なものなどないとの意味は、いい経験も苦い思い出も、伝えることができれば教訓になると悟ったからです。

 

事故は、いつ起こるか分からない。そして事故だけでなく、あなたの人生がいつ途切れるか、それは、神さましか分からないものです。「いつ」でなく、「いま」あなたの大切な人にしてあげられることをしましょう

 

事故はいつ起こるか分からない。その教訓は事故がおこったその日の教訓です。実は幡谷は、1日2回の事故に巻き込まれています。違う事故で2回も救急車に乗る人なんていないだろうし、それをうけ、お医者さんが説教してくださったというのが真相でした

 

あなたは伝えたい言葉はなんですか?その選定はあなた自身をあらします。そしてその言葉は、無意識に、おじいちゃん、おばあちゃんから伝わった尊い価値観が含まれているはずです

 

交通事故を契機に、幡谷は生かされていることに感謝し、そして自分自身ができることをみつけ恩返しの旅をつづけています。背中の痛みがなくなることはなさそうですが、痛みの度に傲慢な自分への戒めと自戒し、毎日を楽しく生きています。

 

1日2度の交通事故も、お墓掃除を欠かさなかったおかげで、ご先祖さんが守ってくれたと、いってくれる人もいました。スピリチャルなことは信じていませんが、自分自身そんな気がします。縁(えん)も地球もグルグル回っているだけなのかもしれません。

 

誰かに生かされていると知っている人間はつよくなれます。そして、なんてことのない普通の生活の尊さにも気が付きました。父ちゃん、母ちゃんも、ぼくを育て頃は若かったし、100点の親でもなかったのでしょう。でも、父ちゃん、母ちゃんの苦労のおかげで、なんてことのない普通の1日をぼくはたくさん過ごすことができました。親孝行はもちろん、本当の孝行は親にしてもらったことを、子どもにしてあげること。僕自身、こどもはいませんが、そんな命のバトンを渡す必要があると痛感しています。

 

お天道さまは見ています。ただし、見ているだけで、助けてくれるかくれないかは、自分自身の行動しかありません。

 

そこに家訓がない限り、幡谷の歩みはつづきます。家訓はなんてことのない普通の1日を応援するプログラムです。幸運にも、生まれ変わるチャンスを交通事故で頂戴した幡谷でしたが、そんな目にあわなくても、家訓づくりの本、あるいは家訓づくりのセミナーをきっかけに、あなたの大事なものを見つけてほしいと願っています。