ノーベル賞が出来た理由

あなたの価値は誰が決めるのでしょう?

 

それは結局、死んだあとにしか分からないかもしれません。

豊臣秀吉は辞世の句として、こんな言葉を遺しました

 

「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」

 

農民の身分から、天下人に上り詰めた秀吉とて、死に際に思うのは、人生の儚さだったような気がします。

 

同じように、発明家として大成功を収めた男が、死後の自分の評価を気にして創設されたものが、ノーベル賞となります。

 


家訓づくりによる世界平和の実現で、平和賞を受賞予定の家訓ニストが、ノーベル賞の創設の秘話を紹介させていただきます

 

 

アルフレッド・ベルンハルド・ノーベル(Alfred Bernhard Nobel,1833年10月21日 - 1896年12月10日)は、ダイナマイトの発明で知られるスウェーデンの化学者、発明家、実業家。ボフォース社を単なる鉄工所から兵器メーカーへと発展させました。

 

350もの特許を取得し、中でもダイナマイトが最も有名で、ダイナマイトの開発で巨万の富を築いたことから、「ダイナマイト王」とも呼ばれた。遺産をノーベル賞創設に使いました。

 

創設のきっかけは、はからずも自分が死去したとされる新聞の誤報を存命中に読んでしまったことに由来します。1888年、カンヌを訪れていた兄リュドビックが死去。この時、ノーベルと取り違えて死亡記事を載せた新聞があり、見出しには「死の商人、死す」とあった。さらに本文には「アルフレド・ノーベル博士: 可能な限りの最短時間でかつてないほど大勢の人間を殺害する方法を発見し、富を築いた人物が昨日、死亡した」と書かれており、このことからノーベルは死後の評価を気にするようになったと言われています

 

1895年11月27日、財産の大部分をあてて国籍の差別なく毎年授与するノーベル賞を創設するとした遺言状に署名し、税と個人への遺産分を除いた全財産の94%、3122万5千スウェーデン・クローナを5部門のノーベル賞創設に割り当てました。

 

実は、家訓づくりプログラムを始める前に、遺言づくりプログラムをつくろう!っと提案したことがあります。

理由は、伝えるべき言葉を探すためには、家訓ぐらいじゃ生ぬるいっと考えたからです。遺言だと思って筆をとるとき、そこに書かれる言葉に、嘘や飾りはないものと、家訓二ストは考えます。そしてその言葉は、残される者、そして、遺言を書いた本人の行動を確実に変えるものと想定します

 

結局、遺言づくりプログラムは、ボツになってしまったのですが、ノーベル賞も、壮大なノーベル自身の遺言なのかもしれません。

 


あなたの価値は、だれが決めるのでしょう?

 

ノーベル賞や、勲章をもらえなくたって、後ろ指を指されずに生きている限り、あなたの人生はどんな偉人にも負けない立派な人生であると家訓二ストは考えます。そしてあなたも、わたしも必ず死にます。その時、周りの人に何を遺したか?それが、人生の価値を決めるのかもしれません。


人生は、得たものでなく、与えたもので決まるのです

最後に、伊達正宗の遺された遺訓を紹介させていただきます。

 

「曇りなき 心の月を さきたてて 浮世の闇を 照らしてぞ行く」

 

正宗公が遺したものは、仙台という街。あるいは子孫への戒め。そして遺訓を読んで感じるものがあったすれば、死後400年たった今も、正宗公は生きているとも言えそうです


家訓二ストも、ノーベル賞受賞は目的にあらず。

あくまで、家訓というボクの細道を歩んでいくなかで、結果的にノーベル賞をいただきます(^_-)

 

残念ながら2014年度の受賞はなりませんでした

ノーベル財団の皆様、生きてる間に、お電話をお願いします m(__)m