坂の上の雲 ~人物を育てる風土の考察~

あなたは坂の上の雲だけをおって、坂をのぼることができますか?
しかし未来なんてそんなもの、触ることも、予想することもできないはずです


希望を胸にこっけいな程の努力をつづけた明治という時代と未来を決めつけ、ほどほどの安らぎと、大きな不満を持ち生活する今の日本人は、そんな明治の日本人に、学ぶ必要があるのではないでしょうか?


松山での全国大会では、司馬遼太郎さんの著作「坂の上の雲」の一節が度々取り上げられていました。画像は、松山城の中腹に建てられた記念館からの風景です。そんな松山で感じた徒然を、ブログで紹介させていただきます^^




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まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている。

 

「小さな」といえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。

産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年のあいだ読書階級であった旧士族しかなかった。

明治維新によって日本人は初めて近代的な「国家」というものをもった。

誰もが「国民」になった。

不慣れながら「国民」になった日本人たちは、日本史上の最初の体験者として、その新鮮さに昂揚した。

 

この痛々しいばかりの昂揚が分からなければ、この段階の歴史は分からない。

社会のどういう階層の、どういう家の子でも、ある一定の資格をとるために必要な記憶力と根気さえあれば、博士にも、官吏にも、教師にも、軍人にも、成り得た。

この時代の明るさは、こういう楽天主義から来ている。

 

今から思えば、実に滑稽なことに、コメと絹の他に主要産業のない国家の連中は、ヨーロッパ先進国と同じ海軍を持とうとした、陸軍も同様である。財政の成り立つはずがない。

が、ともかくも近代国家を作り上げようというのは、元々維新成立の大目的であったし、維新後の新国民の少年のような希望であった。

 

この物語は、その小さな国がヨーロッパにおける最も古い大国の一つロシアと対決し、どのように振舞ったかという物語である。

主人公は、あるいはこの時代の小さな日本ということになるかもしれないが、ともかく我々は3人の人物の跡を追わねばならない。

四国は、伊予松山に3人の男がいた。この古い城下町に生まれた秋山真之は、日露戦争が起こるに当って、勝利は不可能に近いと言われたバルチック艦隊を滅ぼすに至る作戦を立て、それを実施した。

その兄の秋山好古は、日本の騎兵を育成し、史上最強の騎兵といわれるコルサック師団を破るという奇跡を遂げた。

もう一人は、俳句短歌といった日本の古い短詩形に新風を入れて、その中興の祖となった俳人・正岡子規である。

彼らは明治という時代人の体質で、前をのみを見つめながら歩く。

上って行く坂の上の青い天に、もし一朶(いちだ)の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて、坂を上っていくであろう。

(司馬遼太郎「坂の上の雲」より)

 

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松山で行われた日本JCの全国大会では、来賓挨拶のなかでも、「坂の上の雲」の一節が、高々と読み上げられていました。

 

明治という時代にあって、上って行く坂の上の青い天に、もし一朶(いちだ)の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて、坂を上っていくであろう。っと

 

司馬さんも指摘する明治という時代の【明るさ】に比べ、平成の時代って、ぬめっとした【暗さ】がないでしょうか?この違いは何でしょう?

明治初期にくらべ、電気、水道、ガスといった生活資本は整えられ、クーラーも、携帯も、手に入れた私たちの生活は、明治期の人からみれば、お大尽さまか、あるいは宇宙人といった面持ちです。また、努力をすれば、社長にも、役人にも、政治家にだってなれる!そうした透明さは、今の日本にだってあるはずです

 

では、今の時代を覆う【暗さ】ってなんなんでしょうか???

 

維新の黎明期に活躍した、高杉晋作はこんな遺訓を遺しました

「おもしろき 事もなき世を おもしろく 住みなすものは 心なりけり」

 

結局、暗い、明るいは心の持ちよう。課題があるとするならば今の時代を満喫できていない「わたし」に問題があり

あるいは、明治のように、未来を信じひたすらに坂道をのぼる、そんな我慢強さがないだけなのかもしれません 


また明治期の明るさの1つは、地方の元気さに裏付けられています。明治の英傑は皆、地方出身であり、それぞれの風土で育った様々な才能や価値観が、新しい時代を作っていきました

しかし、現代は東京を中心として大都市化すすみ、地域には何の希望もない・・・そんな風潮さえあります。

 

しかし、地方にあって東京にないもの。それは「人物」です。

麻生元総理は、「東京には人材が多くても人物がいない。」と今の日本を表現されました。

 

地方(水戸)はすがすがしい態度で、わが道を歩み、人間を消費する街、東京を救う必要性があると考えます。

水戸は古くから学びの地として知られ、人間を育む風土に溢れる街です。この町で暮らし、息をするだけで、人が磨かれるそんな未来を夢想してます。

 

そのためにも、まず家族という原点にもどり先祖から伝えれてきた素朴な価値観、「ご飯をのこさない」あるいは「靴をそろえる」そんな当たりまえのことを当たり前にできる・・・・そんな人を育む街、水戸であってほしいと考えます。

 

風土とは、山や、川だけでなくそこに暮らす人、文化をさす言葉です。そして水戸ほど、学ぶことに長けた風土はない!とも感じます。また当たり前のことを当たり前にできること、それを「道徳」といってもいいのではないでしょうか?

水戸は道徳の聖地であるべきです。そして、そのお手伝いを家訓づくりをもって実現します。

 

松山には、松山の良さ、そして人物を育てる風土がありました

おなじく水戸には水戸の良さ。そして人物を育てる風土を信じ、またそんな風土をつくる取り組みとして家訓づくりを広げる運動をまい進していきます