家訓創世記 最終章 ~おわりのはじまり~

長期連載、家訓創世記もいよいよ、最終章です

 

始めは、続けるつもりはなかったのですが、Facebookで、橋本先輩(当時の副会頭)より激励をいただいてしまい止めるに、やめられなくなりました(*_*)

 

ご本人から、「最強の敵として、自分が登場することを楽しみにしている!」っと、コメントも頂戴しておりますが、残念ながら、敵?として登場することはありません。むしろ、愚痴の大部分は、穂○議長に・・・(*_*)

 

やりとりの中で嬉しい知らせも伺いました。

橋本家で、家訓の唱和を始めたとの報告です。お子さんが「はしもと家、家訓~♪」と元気に唱和しているとのこと

えっ【最近】!?っという部分が気になりますが、唱和の効果は、確実に家庭をポジティブにかえていき、その輪は、確実に地域に社会に、広がっています

 

その広がりも、全ては京都ではじまりました。

そして、始まりの裏側で起こっていた物語をあらためてつづっていきます。

 

 

(前回までのおさらい)

厳しい予定者のスケジュールをこなし京都に乗り込んだスタッフ一同は、先斗町でしゃぶしゃぶを楽しむ予定でした。

しかし、そこに一本の電話が・・・ 急きょ、京都国際会館にむかうことになったのでした。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

(最終章)

夜21時ごろ、宝が池プリンスホテルでは、橋本副会頭、川島常任が待っていらっしゃいました。

お二人から頂戴したコメントは、家訓をふくめ、数本提出していた徳溢れる心醸成会議の提出した議案はだめだ・・・という結論でした。

丁寧に議案づくりをしてきたつもりでしたが、結局、「徳溢れる心」とは何のこっちゃ???というソモソモ論の部分で、正副構成メンバーの皆様に理解いただくだけの材料をそろえられなかったのが理由です。

 

本来であれば、スーパー縦社会である日本JCで、ラインの副会頭、常任理事から直接議論することはありえません。

 

しかし、今は緊急事態。議案が落ちる恐怖に、青ざめる幡谷。そしてもう一人の副議長の島ちゃん

このクールで審議をいただかないと、議案づくりをもう一度することになるのと、すでに予約の入っている開催がキャンセルになってしまう恐怖に震えていました・・・ 

 

しかし、ポジティブノイローゼを自称する穂坂議長は、くいさがります。

そこで、橋本副会頭から1つの提案を頂戴しました。

 

橋本副会頭:

「徳溢れる心が醸成されるバックキャスティングができていないのが原因なので、小会議ごとの役割をもう一度見直して、徳の議案で共通して説明できる資料を追加すること。対象ごとに徳を醸成させるプロジェクトを推進する内容にしなさい。また、それにともない、家訓議案は議案名をかえること、徳溢れる心醸成プロジェクト 家訓づくりプログラムに変更しなさい」

 

川島常任 :「今日中に、訂正できるのか?」

穂坂議長 :「はい!できます!!!」

幡谷&島川:「・・・(できるのか!?(>_<))」

 

この時の橋本副会頭の指示の前まで、議案名は、「徳溢れる心醸成プログラム 家訓づくりプロジェクト」でした。これを入れ替えろ!との指示です。

この時、京都時間 木曜の22時。議案の提出締切は、翌、金曜の朝の6時。

9時からの会議をはさみ、訂正をくわえ、同日の13時に理事会の予定。

ここで審議可決されることが条件に、翌土曜日の15時から、1回目の家訓づくりプログラムの開催が・・・

 

つまり大~ピンチです。しかし、穂坂議長が、「できる!」とジャッジした以上、副議長は従うのみ。

しかし、単純に名前を入れ替える作業だけでも、議案、関係資料、家訓の冊子、パワーポイント、シナリオ・・・膨大な数となります。また、会議体全体の枠組みについても再考する宿題も出ています。作業量だけでなく、まったく新しい資料をつくる苦しさも加わり、地獄がここから始まりました

 

作業を議長のホテルの部屋にかえ、スタッフで役割分担をきめます

「プログラム」と「プロジェクト」の入れ替えに関しては、「検索変換」という機能をいかし鈴木総括が担当くださいました。

前職がPCのプログラマーだった過去をもつ鈴木総括ならではのテクニックです。

しゃぶしゃぶをご馳走する約束だけで京都に連れてきた当時新入会だった水戸JCの関根くんにとっては、いきなりの修羅場です。猫の手も借りたい状況で、入会の浅い深いもなく、検索変換で互換できなかったデータのバクとりを朝まで担当させました。

 

そして、穂坂、幡谷、島川は、副会頭からの宿題を整理し、枠組みづくりの議論し、結論を出しました

 

① 京都会議、サマコンで、徳溢れる心を喚起する

② 大人を対象に、家訓づくりを通じ徳溢れる心を醸成する

③ 子どもを対象に、偉人伝で徳溢れる心を指し示す

④ 徳溢れる心を伝播するために、熟議の手法を用いて、教育システムの再構築に挑戦する

 

以上の内容に、バックキャスティングをくわえ、4つの小会議がおのおのの役割を全うし、徳溢れる心を醸成させることを1枚のシートにまとめたのです。

 

家訓に限って言えば、

第一段階 日本JCから、LOMを対象に家訓づくりを展開し周知徹底をはかる

第二段階 LOMから、PTA等の地域にひろげ実績をつくる

第三段階 熟議をつかって地ならした教育行政のなかで、プログラムを移管し全国で開催を担わせる

 

結果、徳溢れる心が日本に醸成される!というロジックです

今、見直すと2011年度から3年かかり、ようやく第2段階に到達していることが分かります<(`^´)>

 

深夜から始まった議案修正の作業、そして新たにつくった枠組み。

絶望的な状況でしたが、スタッフの力を集結し、1時、2時、3時っと時間をへると、なんとか終わりが見えてきました。

おのおの違うLOM、あるいは違う背景のなか、JCにはいり、出向してきた仲間が、この時、同志となり、またチームになった瞬間です。

この時、味わった絶望感と、同志でつちかった達成感は、一生忘れることのない財産です。

 

実は、いまだに家訓づくりの資料のなかには、当時、バグとりで変換できなかった「プロジェクト」と「プログラム」が残っています。橋本副会頭に怒られそうですが、なんとなく、自分の原点のような気がして、わざと訂正していません^^

 

また、京都いりした木曜の2日前の火曜は、おやじの大腸がんの手術の日でした。

手術あけ、水戸を離れていいものか・・・ 自分自身には相当の葛藤があったのも事実です。しかし、JCメンバーでもあった親父には、京都いきを後押しされ、また先生から術後の経過もいいとの報告をいただき、京都に入りました

穂坂議長には、「来なくても大丈夫!」と言ってもらっていましたが、こなくちゃダメな京都でした(>_<)

 

水戸の病室から、京都までノンストップな1週間。

完徹からの朝6時の議案提出、正副、理事会をへて審議可決。そして、翌日には第一回目となる家訓づくりプログラムの開催 いまでこそ、スラスラ進行できる家訓ニストですが、この時のトレーナーぶりはひどいもの(-_-;) 

家訓づくりを映画づくりにたとえると、議案の作成は、「制作会社」。プログラムの構築は、「監督」。そして、トレーナーは「俳優」です。ここでの反省をいかし、俳優?家訓ニストが誕生したのです

 

日本JCはプロセスを大事にします。ときには理不尽な命令も多いです。しかし、審議可決前まで、敵だ?鬼だ!?と嫌っていた正副構成メンバーさんも、可決後は、家訓づくりプログラムの最大の理解者として、率先して開催を企画くださることになります

審議可決の瞬間は、おわりであり、また始まりの合図でもあります。

 

いろんなことがありすぎた、家訓づくりプログラムの制作過程の物語でしたが、いまではいい思い出です。

だけど、もう1回はできないな(*_*)

でも、この時間を踏ん張ったからこそ、全国、あちこちのLOMさまに伺うチャンスもできたし、家訓二ストとしてたくさんのご縁をいただき、facebookで「いいね」をもらうことができました

 

幡谷家家訓:「人生に無駄なものなし!」

 

LOMの委員長さんであっても、あるいは日本JCに出向しても、与えれた時間は一緒です。もし違うとしたら、「意気込み」だけかもしれません。1日はだれにとっても24時間。その時間をどれだけの気持ちで、どれだけ打ち込めるかが、JCでも、仕事でも違う結果をもたらすのではないでしょうか?

 

ご好評をいただく家訓づくりプログラムは2か月間、予算も○十万円もかかっていません、かけたのは情熱。そしてそれを後押ししてくれた仲間の存在でした。

改めて、幡谷を育てくれたJCという組織の尊さに感謝し、またこの組織の中から、世界にポジティブな変革をもたらす、新たな○○二ストが誕生することを期待しています。御礼は、家訓を通じ、世界を平和にしちゃうこと。そして、ノーベル平和賞をもらうことで、代えさせていただきます。


家訓創世記 最終章 ご購読ありがとうございました^^