家訓をもつ偉人伝⑥ ~栗林大将の手紙~

画像:栗林大将
画像:栗林大将

「お父さんは、お家に帰って、お母さんとたこちゃんを連れて町を歩いている夢などを時々見ますが、それはなかなか出来ない事です。たこちゃん。お父さんはたこちゃんが大きくなって、お母さんの力になれる人になることばかりを思っています。からだを丈夫にし、勉強もし、お母さんの言いつけをよく守り、お父さんに安心させるようにして下さい。戦地のお父さんより」

 

たこちゃんとは、栗林大将の次女のこと、戦地にあって家族の行く末を思う素朴な気持ちが痛いほどわかる手紙です。

 

 

栗林大将は、当時としては、珍しくアメリカ駐在歴があり、開戦にあたり国の非力を誰よりも痛感していた理知的な軍人でありました。また軍人であると同時に良き家庭人でもあり、北米駐在時代や硫黄島着任以降には、まめに家族に手紙を書き送っています。アメリカから書かれたものは、最初の子どもである長男・太郎が幼かったため、栗林直筆のイラストを入れた絵手紙になっているそうです。硫黄島から次女(「たこちゃん」と呼んでいた)に送った手紙では、軍人らしさが薄く一人の父親としての面が強く出た内容になっています。硫黄島着任直後に送った手紙が上段に紹介させてもらったものです。

 

大東亜戦争のなかでも、激戦地として知られる硫黄島の戦いの中で、その指揮をとったのが前述の栗林大将です。東京の北区ほどの小さな島、硫黄島は、のちの本土への空爆をめぐって日米両雄の決戦地となりました。

作戦当初、物資両面で勝る米軍は、島の専有を5日で完了する予定でしたが、栗林大将の入念な作戦のもと、40日に渡る激戦に引きづりこまれ、戦傷者数でアメリカ軍が日本軍を上回ることになりました。これはアメリカの建国以来最大の戦傷者となり、のちの沖縄戦を含め、日本人の逆境のなかで奮闘する姿が、アメリカ中枢部で、本土決戦を回避する選択肢を選ばせたと言われています。

 

負けて勝つ。硫黄島という小さな島をめぐる決戦が、栗林大将という傑出したリーダーのもと、本土決戦という最悪のシナリオを回避し、ひいては戦後の繁栄をもたらしたといっても過言はないでしょう。またこの決戦の結果、米軍のなかで、バンザイ特攻を繰り返す狂信的な日本軍というイメージが払拭され、敵ながら相手を尊重する、畏怖の念が生まれるきっかけになったとも言われます。栗林大将を筆頭に、硫黄島に眠る2万の英霊は、日本の繁栄と共に日米の友情の架け橋になったのです。

事実日本より、アメリカでの知名度の勝る栗林大将の半生は、イーストウッドによって映画化され、「硫黄島からの手紙」として封切られ、日米両国で話題となり、結果国内でも名誉回復が実現されました。かくいう家訓ニストも、映画によってこの戦いを知った「知ったかぶり」世代です(>_<)

 

愛する家族を守りたい・・・その素朴な想いも、時代の周遊のなかでは、武力という手段しか選択できない時代もありました。

今日、硫黄島をはじめ、戦いに散った旧日本軍の戦没者は、英霊として東京靖国神社に奉られています。平和に暮らす我々の暮らしの基には、英霊の活躍があったこと、そしてそれに感謝することは必然なのではないでしょうか? 

 

今年も、元旦より閣僚による靖国参拝を批判するニュースが流されました。 批判自体を否定する気持ちはありません。確かに日本との交戦のなかで、不合理な一面もあったことですし、A級戦犯を奉っているというのも事実だからです。しかし隣国からの批判を、そのまま国際常識のように受け止める反日の報道姿勢は、別次元の話。日本の大臣、そして宰相が、国を代表して英霊に感謝をし、不戦の誓いをすることを批判する報道関係各位の「品位」を問いたいとおもます。

 

家族を守る素朴な気持ちは、戦中、戦後。そして平成の御代まで変わらぬものです。

不幸にして、命を削ることでしか家族を守れなかった時代、家族を行く末を案じる手紙は、栗林大将の軍人としてでなく、一人の人間としての普通すぎるパパぶりが、よく伝わるものです。そしてこの手紙は、栗林家の「家訓」になったものと断言できます。

 

手紙に記された家訓には、お母さんを助けられる大人になるために、健やかに、そしてよく勉強して言いつけをまもることを記しています。手紙を書いた時点で栗林大将は自分の余命が幾ばくもないことは知っていたはずです。家族に守って欲しいことを素朴に記した栗林家の家訓を14年度最初の家訓として紹介させていただきます。

 

そしてこのお話にはつづきがあります。

元旦に靖国神社を参拝した新藤総務大臣。報道各社の批判を受けながらも、こんなコメントをだしています。「大臣として、英霊に感謝するのは当然のこと、そしてここには、祖父の御霊も奉られています・・・」

 

・・・

 

新藤総務大臣の母親は、手紙に登場する「たこちゃん」。つまり、新藤大臣は栗林大将のお孫さんにあたります。68年の時をへて、栗林大将の願った家族の安泰が、次女のたこちゃんをへて、大臣として活躍する新藤大臣を誕生させた奇跡にただただ驚いています。

 

お正月、親戚が集まり賑やかな宴があっちゃこっちゃで、開催されていることと存じます。

こんな平和な世の中があるのも、栗林大将をはじめ多くの英霊の尊い犠牲があったうえでのこと、恩に報いるとは、英霊に手をあわせ、約束をすることです。

 

約束とはなんでしょう? 国を行く末を案じた英霊のために、われわれが、平和に健やかなにこの日本という国を守り、そして伝えることではないでしょうか?

 

家族を想う素朴な気持ちをあなたも家訓として伝え、結果、幾世にもこの平和な国日本が続く礎とすることを約束してください! 

 

コメントをお書きください

コメント: 2