靖国神社遊就館「英霊の手紙」より

画像:遊就館にて
画像:遊就館にて

陸軍曹長 佐藤源治命 
昭和23年9月22日 ジャワ島ツナビンにて殉職死 岩手県出身 32歳

1.僕は唱歌が下手でした
 通信簿の乙一つ
 いまいましさに 人知れず
 お稽古すると 母さんが
 優しく教へてくれました

2.きょうだいみんな 下手でした
 僕も 弟も 妹も
 唱歌の時間は 泣きながら
 歌へば皆も 先生も
 笑って「止め」と言ひました

3.故郷を出てから十二年
 冷たい風の 獄の窓
 虫の音聞いて 月を見て
 母さん恋いしと 歌ったら
 皆が 泣いて 聞きました

4.僕のこの歌 聞いたなら
 頬すり寄せて 抱きよせて
 「上手になった良い子だ」と
 賞めて下さる ことでしょう

 

 

12月8日 真珠湾攻撃の日、靖国神社に参拝後、遊就館に寄せていただきました

訪れる度に、胸が締め付けれらるこの施設で、今回は、この手紙に心を砕かれました。

今、書きおこしても、涙が止まりません・・・

 

戦争は、もちろんしない方がいい。

だれも望んで殺し合いなんかしない。

ただし、自分が大切にしているもののために、立ち上がらなければならない時もある・・・

 

佐藤曹長は、ぼくの年齢よりも若い32年の人生のなか、最期に残した手紙には、「親に褒められたい」そんな気持ちが綴られています。

自分の大切な親、兄弟を守る手段が、戦争しかなかった時代の不幸。そして、平成の御代、あなたはどんな方法で、家族を守っていますか?

 

英霊の遺した手紙は、どれも素朴に、家族の未来を案じるものばかりでした。

そして「家訓づくり」は、伝えるべき言葉をみつけ、伝え、結果、家族を守るものです。

 

正直、家訓づくりも、家訓の旅も、簡単なものでもなく、心の折れそうな日はありました。

止まらない涙は、決意のあらわれ。佐藤曹長の御霊の前で、ぼくの戦いの決意を新たにさせていただきました。

 

改めて、靖国に眠る300万の御霊に、安らかな眠りを・・・