熟議の車窓から 【第一部 発車編】

「熟議」とは、違う立場、違う意見をもつもの同士が集まり、意見を交換しあうツールのことをさします。日本青年会議所では11年度、1年休んで、13年度と運動に共感し様々な場面で展開のお手伝いをしてきました。

 

熟議をつかった手法は、教育問題の解決をさぐる中で多く採用されています。教育問題は、問題の性質が多岐にわたり、「これっ」といった打開策が見つかりません。そもそも、教育庁、教育委員会、教員、教頭、校長。これに父兄、地域のひと・・・っと、関係者が多すぎて相関図を理解するだけで一苦労です。


教育の現場では、こんがらがった糸を丁寧にほぐすことを求められます。でもほぐす前に疲れてしまうことが多いのではないでしょうか?

熟議では、こんががった糸をほぐすでもなく、お互いに理解をふかめ、複雑な糸自体をなかったことにしてしまう魔法の取組であると理解しています。

 

問題がおきたとき、教育委員会、教頭、校長先生という縦のラインは機能しません。反対に、逆流させたとしても、生徒目線、先生目線から、ボトムアップ式での意見収集もできないシステムになっているようです。

 

縦がだめなら、横でいい、横がだめなら斜めがいい。熟議はそんな斜めのラインをつくる画期的な取り組みとなります。

 

これに「熟議」という手法をプロットすると、本来意見をかわす場面のない、教育行政のトップと、現場。そして、JCメンバーをふくめたお父さんお母さんの子育て世代、何より地域に根付く、おっちゃん、おばちゃんまで、フラットに議論をすることが可能です。そして議論の結果、お茶でも飲みに来てや~っと、「知った仲」になるいう要素が一番大事。それこそが、斜めのラインの効用であると家訓二ストは断言します。

例えばクレームばかりいう「モンスターペアレンツ」がいたとして、先生の立場でも、教育委員会の立場でも、解決は難しそうです。でも、地域の立場でいえば、
「ごじゃごじゃいうな!」っと一喝できるおっちゃん、おばちゃんがいればちょっとは大人しくなるのではないでしょうか? 

 

七月二十日より始まる日本JCのサマーコンファレンスでは、この熟議の手法をつかい、47都道府県の関係者をあつめ道徳についての相互理解を図ります。

 

熟議は、民主主義の原点でもあり、違う意見を持つ者同士が、互いに尊重し、問題点の共通項をさぐりあうものです。今回のテーマとなる「道徳」についても、立場や哲学、宗教観の違いから、全然違う道徳が導き出されると想定してます。だからこそ、熟議が必要なんです!

 

家訓プログラムのスピンオフ企画として、熟議3部作を公開いたします。熟議の素晴らしに触れ、この仕組みの有用性を実感いただければ幸いです。第2段は、メンバー間で実施した模擬熟議から導きだしたアクションプランについて披露させていただきます。お楽しみに★