教育とは、寺子屋と鎮守の森。

京都国際会議場
京都国際会議場

1月19日 日本青年会議所主催の京都会議で、念願の徳育セミナーが開催されました。

 

おかげさまで700人の会場がいっぱいになる盛況ぶり!

13年度 日本JCでは、未来を切り拓く日本人育成会議が、「徳育」を担います。

 

 

ちなみにフォーラムの講師はこちら・・・

 

▼講師
建長寺宗務総長 高井 正俊氏

02.パネルディスカッション

出演者
【パネリスト】
・参議院議員 鈴木 寛氏
・建長寺宗務総長 高井 正俊氏

 

宗務総長、鈴木寛さん。教育にまつわる金言の数々に、納得するものばかりでした。

中でも、教育の理想は、「寺子屋と鎮守の森」という鈴木元副大臣の言葉には、しびれました

 

教育の目的は、知識習得でなく、生きる力をはぐくむもの。

専門的な知識醸成は、高校。そして特に、もっと専門的な方向を望む方だけが大学にいくことが、理想だとおもいます。

 

現状は、大学にいく、いかない。の選択を視野にいれず、大学入学時の学力レベルを逆算して、高校、中学、小学校っと、積み上げているだけだと思います

 

本来は、生きるうえで必要な力を着地点として、教育を施すもの。

そして、教育は机の上でするものでなく、営みの全てが勉強であり、そして人間を深める過程にすぎません。 

 

その本来の力が見事に根付いていたのが、江戸期の教育体系。

「寺子屋と鎮守の森」という慧眼には、そんな背景が存在しています。

 

まず寺子屋では、「手習い」といわれた反復での学習が薦められました。

そして「素読」。こちらは声にだして読む。ということです。

 

いずれも教本として、採用されていたのが「論語」つまり道徳のカリキュラムです。

つまり子供たちは、意味が分からない状態で無意識に、質のいい道徳をシャワーのように浴びていたのです。

そして、生きるうえで、最低限の読み書きができたところで、丁稚。商人(あきんど)のもと、仕事を始めたり。あるいは、家業をつぐ。そんなサイクルができあがったようです。

 

論語の言葉と哲学のエレガントさに比べ、例えば英語の長文の読解後の意味のくだらなさといったらありません。あれは文章でなくパズル。そこに人間は見えません。

 

そして「鎮守の森」。鈴木さんは、これを見えないものに感謝する心と表現されていました。

 

家訓プログラムでも、紹介させていただく

「ご飯つぶを大切にする」あるいは、「いただきます」の本当の意味。

そこには「鎮守の森」の背景が収納されていることをご存知でしょうか?

 

「いただきます」の意味。

お米の命をいただきます。太陽を土を水をいただきます。

お百姓さんにいただきます・・・ いずれも目にみえないものに感謝する言葉です。

 

目に見えないものに感謝すること、営みを育む全てのファクターに「感謝」しましょう。そしてその感謝は、お米をつくった誰田誰衛門にするのでなく、行動として、ひとに迷惑をかけないこと。次の関わりをもつ「誰か」に、「感謝」という素敵なバトンを渡していきましょう。

 

見えないものに感謝すること、神社のお社にある鎮守の杜は、その象徴です。

そこには、何もなく。ただ、感じる「なにか」がある。

 

子供たちに教えることは、忘れてしまうかもしれないが、

「感じる」ものは、忘れられない。

 

寺子屋と鎮守の森。

感じる力を養うことが、教育の目的かもしれません。

道徳は、ひとのひとたる道をとく道。

感じる力は、感謝できる力でもあります。

 

人間を深める。

徳育の1年間がはじまります!