アダムも食べた「原罪」の味

写真は、相対性理論で有名なアインシュタイン先生。

先生はこんな言葉を残しています。

 

「いつの日か、テクノロジーが人間を上回る日を恐れている世界は愚かな世代でいっぱいになるだろう・・・」

 

テクノロジーは、人間の社会に劇的な「便利さ」をもたらし、

とくに電気の普及は、生活をおくるために費やしてきた恐ろしい程の労働、

洗濯や、掃除。ご飯をたくこともまでも、次々に人間を開放してきました。

 

しかし、開放されたはずの人類が、ちっとも幸せに見えないのは何故なのでしょう?

西洋では、アダムとイブが、おいしいりんごを食べちゃって、楽園を追い出されるきっかけとなったことを「原罪」といいます。

 

便利さは、もしかしたら、「原罪」なのかもしれません。

そしてアインシュタインが恐れた愚かな世代は、いまを生きる私たち自身への警告にほかなりません。

 

わたし幡谷は、先の震災で、1週間にわたりライフラインがたたれた生活をよぎなくされました。

しかし、それは不便であっても、不幸ではなく。原罪から開放された実に人間らしい1週間でもあった気がします。

 

飯くって、くそして、ねる。実にシンプルで、実にすがすがしく、そして飯を獲得するまでの家族一丸となってきた「時間」は、本当に尊いものです。

 

そして原罪から開放された時間を巻き戻すと、なんてことない。ただ家族と一緒に時間をすごした。シンプルすぎる結論でした。

 

ご飯をたべるとき、テレビを消しましょう

携帯を1時間ぐらい消しておいてもいいのでは?

車なんか乗らなくて、家族で一緒にあるけばいいじゃん

その日あったことをみんなで話そう。

それだけで世界が変わるって信じれる?

 

 

家訓づくりプログラムは、そんな「家族」を全力で応援するプログラムです。

 

以上、家訓編集中に、カットした文面を書き出してみました。

こんな感じで、プログラムは進化と退化?を繰り返しています^^

明日は大阪で本年度1回目のプログラムです。

13年度も家訓の旅に「いいね」をお願いしますね☆